ワタクシ、子どもの頃から
「そーはち、そーはち」と聞きながら育ちましたので、これは
「そーはち」なわけです。
そして、子どもの頃に見る
「そーはち」は、すでに加工された干物の
「そーはち」だったわけでして、
「そーはち」=コレだったのです。
コレ 本名を
【宗八ガレイ】と呼ぶそうで、子どもの頃に余市港で釣りをした「砂ガレイ」や「マガレイ」がフライや煮つけにして食べると美味いのに対して、
「そーはち」は干して焼いて食べるというのが一般的というか、何というか、そうしたことしかありませんでした。
北海道の沿岸部にはほぼどこにでもいて、年中獲れて魚価が他の魚よりも安いらしくほぼ一年間コンスタントに道内各所から仕入れをして余市で加工した干物を札幌の市場に運搬している、近所の社長がいます。
「小樽積丹の近郊は6月初旬の産卵直前が一番美味い」とか「内浦湾のは夏の前」とか「釧路は突発的に大漁になって、過去最高に美味かったのは15年前くらいに突然大漁したときの釧路のそーはち」だとか、そーはち大好きなその社長さんが作る美味い干物ばかり食べて育ってきた割には、ワタクシは
違いが分からない男になっちまいました(笑)
それはそうだ、毎日食べてるわけではないもの。
でも、その社長が熱烈に回想する
15年前の釧路のそーはちは覚えていますよ。
あの衝撃はすさまじかった。
焼いたカレイに差があるのか?って思いますよ。それはワタクシもまた然り。
だがしかし、身のフワフワ感とかほんのりと甘い脂のノリだとか・・・あれはもう、きっと二度と巡り合えないと思います。
そして、その後その味を忘れられずにスーパーで買って食べた他所のそーはちが、ボソボソで美味くなかったことにより
「違いに気づく男」へと成長したことはワタクシ自身の名誉のために書いておきます(笑)。
その1
5年前の釧路のそーはちに及ばなくとも、常に美味い
そーはちだけを吟味して仕入れし、造り、供給し続ける近所の社長も還暦を過ぎ毎日のように顔を合わせつつ、毎日、将来を憂える話ばかりが出て来ます。
そーはちは、ウロコを落として、頭と首の境目あたりを包丁で落として、内臓を引き抜いて、塩水に漬けて、乾燥させて干物になります。
加工そのものは難しい手順ではありませんし、種類は違えどカレイの干物をつくる文化は日本の各地にあります。
実際、北海道のみなさんは買い物に行ったスーパーで干物コーナーを見てみてください。
かならず「宗八」と書かれた干物がパックされて売られていますから。
毎日売られていても、なかなか気づかれない。買わない。
それほどその地域に馴染んで、溶け込んでいるものなのです。
身欠きにしん製造と同様に加工員さんの高齢化による引退が相次ぐ中で次の世代に技術の伝承が行われず、失われつつある技術・加工品の筆頭と言えるかも知れません。